石原みほし Ishihara Mihoshi

「草の根レベルの交流機会を 日本とミャンマー間で」

筑波大学卒業 IDFC2014・2016実行委員

Q. IDFCにとって、「ミャンマーといったらみほしさん」ですが、

いつからミャンマーへ行き始めたのでしょうか?

 

大学2年の夏休み、ミャンマーへ一人旅をしたのが最初です。

その前までは、どっちかっていうとヨーロッパ思考でした(笑)。

 

 

 

それは驚きました。一体何がきっかけだったのでしょう?

 

たまたま大学の授業で、「ミャンマーの経済制裁をやめるべきか否か」をテーマに話し合ったんです。そのとき、調べていて面白そうな国だなと思いました。

 

またそれ以前の高校時代から、世界には目を向けていて当時は医療関係のNPOでボランティアをしていました。それで、大学でも世界に目を向けられる団体に入りたいなと思っていたんです。そのときたまたま見つけた難民関係の団体に入ったんですけど、そこでも難民を通してミャンマーとつながりました。

 

 なるほど、複数のきっかけが重なったんですね。

 

Q. ミャンマーへはじめていったときの感想をお聞かせください。

 

行く街行く街、ミャンマー人のみんなが優しくしてくれました。

当時2012年は、ミャンマーに行く人が全然いなかったのもありますが、今よりももっと優しかったです。

 

見知らぬわたしに対しても、困っているとき助けてくれました。

 

Q. なぜそこから留学することになったのでしょうか?

 

ミャンマーへ行ってみて、いろんな方と出会っていく中で、自然とわたしはここに住むんだなと考えていました()

 

Q. 留学生活はどうでしたか?

 

留学前から、ミャンマーのことは、日本で出来たミャンマー人の友達などから聞いていました。ミャンマー国民であることも認めてもらえず様々な権利が奪われていたり、政治的に抑圧されていたりする人がいることなど。

そして来てみてからも、自由がないんだなあいうのを、つくづく感じました。

アウン=サン=スーチーさんのことを街の中でしゃべったら、誰かが聞いているかもしれないので気をつけないといけないということもありました。

 

Q. ミャンマー留学中、IDFC実行委員になることを決めたときのことを教えてください。

 

橋本に出会う前から日本とミャンマーの学生が交流できたらいいなとは思っていたんです。

 

一人旅のときもですが、留学中もミャンマー人にたくさん優しくしてもらいました。

最近は観光客もたくさん来るし、海外の企業も進出してきているけれど、利害とか関係ない状態で、人と人が草の根レベルで交流できる機会が失われてほしくないなと感じていました。

だから、そういうのでわたしができることとしたら日本人とミャンマー人のあいだかなと思ったんです。

でもまだ漠然としていました。

 

そんなとき橋本と話して、意気投合しました。

 

それからは、一緒に動き出しました。橋本は日本に帰国して、わたしはミャンマーで準備を始めました。

Q. 第一回目開催にあたって、苦労したことは何ですか?

 

ヤンゴン大学で開催しようということになったのですが、その場所を確保することに苦労しました。

民主化されたとはいえ、ヤンゴン大学も自治を持っていなかったようなものなので、その上の教育省からの許可が必要でした。

しかし、直接訪問はできません。ミャンマーJICA所長さんにお願いして、ミャンマーの教育省にレターを届けていただいたり、大学側からも教育省に連絡していただいたりしました。

 

教育省の許可が下りずとも、開催することも不可能ではありませんでした。

しかし、ミャンマーは過去、学生の活動で政治が動いていたとも言えるので、政府が非常にセンシティブで。もし正式な許可が降りてなかったら、特にミャンマー側実行委員と参加者の身に何が起こるか分からなかったんです。だから正式な許可はどうしても欲しくて。これについては、自分にとってもかなりプレッシャーでした。

Q. 第1IDFCを終えたときどうでしたか?

 

終わったときは、「本当にできちゃった」と思いました。開催できたこと自体が奇跡でした。それこそ教育省からの許可も本当にギリギリだったので。

開催できるものと思っていながらも、出来ないんじゃないかっていう思いもありながら準備をしていました。

日本人とミャンマー人が抱き合って帰っていく姿をみたときにやってよかったなあと思いました。

無理でも諦めなくてよかった。

 

 

Q. みほしさんのこれからについて教えてください。

 

途上国の開発に関わる仕事をやれたらなと思っています。

だから、今は農業関係の企業で働いています。

 

お盆休み、ミャンマーへまた行ってきました。

留学時代やIDFCの友達や家族に会いたくてというのももちろんあります。

でも今回は、農業灌漑省の人に、もっとミャンマーの農業について伺いたいと思って、会いに行ってきました。

学生時代もミャンマーには住んでもいたし、何度も帰っていたけれど、自分の興味のあるところにいく時間は作ってこなかったなと。それで、行こうと思って行ってきました。

 

将来は、途上国の地方を支える仕事ができたらなと考えています。

Q, みほしさんにとってミャンマーとは?

 

わたしのモチベーションです。

ミャンマーにいる子達って結構野心的なんです。

ミャンマーは今まさに変化あるときで、いろんな機会も急激に増えてきています。ミャンマーの若者って思考がとっても明るくて、これからなにやろうっていっぱい考えてる。日本は堅実で、それもいいんだけど、こんなことやろうぜあんなことやろうぜ!ってたくさんアイデアを膨らましていくミャンマー人からはとても刺激をもらいます。

だからこの夏もお盆休みを使って、ミャンマーへ戻りました。

わたしも頑張ろうって思わされるということで、モチベーション。

さいごに、未来の参加者へメッセージをお願いします!

 

一番言えることは、IDFCはミャンマーの同世代の仲間と協働して社会課題解決に取り組むことができます。他ではなかなかできないけれど、とても意味のある体験になると思います。そういうチャンスはなかなかなありません!

 

それから、IDFCに集まるような人たちは本当にパワーがあります。何かやろうと言ったら、本気でやろうぜ!ってのってくれて、一緒に考えてくれます。そういう仲間って一生ものだし、これからも繋がっていけると思うから。

 

みほしさんのミャンマーが好きな気持ちや自分自身にまっすぐな姿を、久しぶりに感じさせていただきました。

今日はありがとうございます!!