杉浦 安季  Sugiura Aki

ー「人の繋がりが築き上げたIDFC」

南山大学外国語学部英米学科卒業 IDFC2014実行委員

IDFC2017実行委員 塚本沙世(Sayo)との対談

Aki さんプロフィール: IDFC2014実行委員副代表・企画

Sayoプロフィール: IDFC2014参加者/ IDFC2016副代表・企画/ IDFC2017企画

Sayo : 「何がきっかけで、IDFCの実行委員になられたんですか?」

 

―――前例がなかった日本ミャンマー学生会議を創り上げる―――

 

Aki : 私はもともと、創設者である橋本君と知り合いだったわけではなく、先にIDFC運営に関わっていたイギリス留学中の友人から誘われたのがきっかけでした。その友達とは、イギリスの大学で開発学について学び一緒に勉強もしていた仲で、私が国際協力や東南アジアに興味関心があることを知っていました。ちなみに後から聞いた話ですが、当時運営メンバーは経験のある人を主に募集していたのですが、そんな経験のない私はポテンシャル採用だったそうです笑 

その後、初めて橋本君と話したのはスカイプ上でした。運営当初は、知らない人ばかりで私は大学が名古屋で他の運営委員は京都や東京にいて、直接顔をあわせる機会もなく進んでいました。だけどそれだとなかなか想いも伝わらないので、京都でのミーティングを参加しに行ったのですが、その時に限ってみんなミーティングに参加できずに、初めて会う橋本君と二人っきりだったのを今も覚えています。だけどあの時間があったから、IDFCに対する想いをきちんと理解してその後は運営に臨めました。

 

Sayo :「IDFC運営になることへのきっかけは、イギリス留学中に学ばれていた開発学と、何か接点はありますか?

 

Aki : 「開発学を学び始めたのは大学に入ってからで、特に留学やゼミを通して学ぶ機会がありました。興味関心を持ったきっかけは、高校生の時に英語の先生がカンボジアやルワンダの内戦について話してくださったり、国連のことについて話してくれたことがきっかけです。その後留学先に選んだロンドンの大学も、国際開発学の分野では有名なところで、そこでの学びを通して、現場で実際に活動してみたいと思っていました。そして当初私が、現場として見てみたいと思っていたのが東南アジア地域でした。そんな風に考え帰国して就職活動が終わった5月ごろに、IDFCの運営をしてみないかと声がかかり、迷いなく運営になることを決めました。」

Sayo :IDFCの運営で一番難しかったことや印象に残っていることは何ですか?」

 

―――試行錯誤で準備を続けた期間――― 

 

Aki : 「IDFCのテーマを決める過程にとても苦労しました。まず、日本での運営合宿を立命館大学で行った際に4時間以上にも及ぶ議論をした結果、「2020年 大学のあるべき姿、理想のキャンパスのあり方」をテーマに今年は教育で行こう!となりました。

 

事前にミャンマー側運営にも、テーマについて共有し意見交換をしていたつもりだったのですが、いざミャンマーへ渡航した際に、教育ではダメだと言われ落ち込み泣きながら橋本君に電話をしたのを覚えています。笑 理由としては、政治的に教育を扱うのは危ないし難しいことであったり、ミャンマー人が自国の教育に対して誇りを持てていない分対等な議論ができると思わないということでした。その後、話が流れ今年のテーマはビジネスがいい、ビジコンをやりたいという案が出され、それじゃあIDFCじゃない!と思いながら、もうどうしていいか分からなくなりました。

 

その後遅れて橋本君がミャンマーへ渡航して、お互いの意見の中間点を取り「Career Development」という案に落ち着きました。誰かの意見だけを取り入れるのではなく、お互い完璧に納得のいくテーマではなかった。痛み分けだったのかなと思います。

 

合意形成が大変だったのは他にも多々ありましたね。日本人、ミャンマー人限らず、本当に個性的な人たちばかりでした。そして基本的に我が強い(笑)。そんな中、IDFCを成功させる、という共通の目的を持っていたからこそ最後までみんなで走り抜けられました。そんなIDFCを通した経験と人脈が今の自分の宝になっています。

Sayo :IDFCのプログラム中に印象に残っているシーンはありますか?

 

Aki : 「プログラム初日に、参加者が真剣に議論している姿を見て、想い描いていた光景が実現した時は目がウルウルになりました。思いが形になった瞬間でした。

他に印象に残っているのは、ミャンマー側運営がIDFC本番直前になって3人も辞めてしまったり、プログラム最中も、なかなかミャンマー側運営と足並みがそろわなかったことです。IDFCとは何かというVISIONの共有がきちんとされていなかったからだと思います。今までの前例がない分、「IDFCってなに?」という部分のイメージが共有されておらず、見えなくなってやめてしまったのだろうと思います。何のために頑張るのか、VISIONの共有はとても大事だけどとても難しいなと実感しました。

Sayo : 「IDFCでの経験が現在に活かされているなと思うことを教えてください。」

 

―――現在とこれから―――

 

Aki : 「現在は、システム開発の営業をしています。自分の会社の技術者、お客様、本当に色々な方々と会い、仕事をします。正直合わない人もいますし、前向きに仕事に取り組めない時もあります。そんな中、IDFCで意見がぶつかりながらも、間違えながらも、協力して軌道修正しキャンプを成功させられた経験を思い出すと本当に力が湧いてきます。

 

IDFCでできた繋がりって不思議と社会人になっても根強く残っていて、本当にそれが不思議でもあり、IDFCの魅力でもあると思います。他の団体にはない、個人の繋がりがとても素敵でこれからもそうであって欲しいなと思います。

 

 

 

対談を終えたSayoの感想

IDFC設立の背景を聞いて、IDFCが1年目成功した理由って「人と人との繋がり」であるなと実感しました。あきさんだけでなく、IDFC2014広報のなつきさんも人を通して紹介してもう形でIDFCの運営メンバーとなったそうです。橋本悠の人と人を繋げる力、計り知れないです!!