Q. まずはミャンマーに興味を持ったきっかけを教えてください。
2012年5月に米国ワシントンDCにて開かれたヒラリー・クリントン国務長官(当時)とミャンマー外相の共同記者会見がきっかけです。当時、立命館大学から学部共同学位プログラム(DUDP)を利用してアメリカン大学に留学中だった私は、共同通信の学生記者としてその記者会見に出席しました。これがきっかけとなって、国際社会が注目するミャンマーに関心をもち、留学終了後、経済産業省が実施したインターンシップでミャンマーを訪れました。
Q. その後、実際にIDFCを創設しようと思ったのはなぜですか?
ミャンマーの大学を初めて訪問した日が直接的なきっかけです。現地の商工会議所でインターンシップをしていたときに、現地の学生に対してキャリアに関するワークショップをしました。その際にできた縁がきっかけでヤンゴンにある大学に招いていただいたのです。そこで出会ったのは私と同じように国際関係学部で勉強しているミャンマー人学生たちでした。話していると、共通の関心が多く、「自分と同じようなことを考えているなあ、同じだなあ」と思ったのです。彼らは、「自分たちの国はまだまだ発展途上。自分は海外と協力してこの国を発展させていきたい。」ということを話していました。その責任感には、圧倒されましたし、とても感動したのを覚えています。そのときに大学を案内してくれた学生の1人が、君はこの大学に来た初めての外国人だよ。よければ日本人の友達を連れてきてよ!」と無邪気に言ったのです。「なるほど、そういうニーズがあるのか」という発見でした。そのまま大学の学長のところに引っ張っていかれました。(笑)
"今こそはじめるべき"これはその時、学長に仰っていただいた言葉で、IDFCをはじめる最後の一押しになりました。
その理由として学長が語ってくれた背景には、ミャンマーの想像を超える歴史がありました。かつての軍事政権下で、ミャンマーの民主化を求める声の中心には、大学生がいました。学生たちが民主化に向けて団結することを恐れた政府は、市街地にあった大学を閉鎖し、郊外の大学でも学生の集まりを規制していったそうです。その状況下で、海外の学生と交流する学生団体など認められるはずはなかったのです。民主化がはじまった今というタイミングを逃さず、他の国に先駆けて、日本とミャンマーの大学生が関係を築ける意義は大きい、そう確信してIDFCに向かって動き出しました。
インターンシップ中に訪問した現地の大学にて
Q. IDFCといえば「日本とミャンマーの学生が協働して社会課題に取り組むプログラム」だと言えると思います。社会課題に注目したのはなぜですか?
理由は2点あります。1点目は両国の学生のニーズを考えたとき、日本の学生で「ミャンマーに行きたい」もしくはミャンマーの学生で「日本人と交流したい」という声は少ないと思いました。しかし「途上国の開発に取り組みたい」や「今ある社会をもっと良くしたい」と考えている人は多いと思ったため、そのような若者をターゲットにして人を集めたかったです。まずは人が集まらないと、と思ったのです。
2点目はこの1週間を過ごせるのは各国からたったの20人弱。でもそれを自分のためだけで終わらせないでほしいという思いがありました。
-なるほど、そのため一般市民に向けた発表の場や、人を巻き込んだワークショップを設けたのですね。
そうですね。また大切なのは社会課題に取り組むことはあくまでも手段だということです。1週間という短い期間において、チームとして1つの目標に向かう経験を通じて、お互いのことを分かりって深い関係を築いて欲しい。これが一番の想いでした。ただ楽しいことだけをしていたらそれは叶わない。そう感じていたので「挑戦の場」を提供したい。チームとして乗り越えるものがあるからこそ、深い交流ができると思っています。
Q.ミャンマーにも海外との接点が増えてきている今、IDFCはどのような役割を果たせると思いますか?
確かにIDFCを創設してから、この2年間でたくさん機会が増えたと思います。それはとても嬉しいことですね。特にIDFCに来たミャンマーの学生たちは国のトップ学生ですし、チャンスも多い。すでに海外に羽ばたいているメンバーもいます。実際に1年目のIDFCのミャンマー側代表は、アメリカで大学に通うべく頑張っていますし、他にもオーストラリアやイギリスでの国費留学の切符を手に入れたメンバーもいます。海外に出る機会というと、どうしても欧米中心な印象はありますね。
こうした流れの中でIDFCが存在する意義を改めて問う必要があると感じます。そのヒントは「ミャンマーと日本」の交流であるという点にある気がします。例えば、ミャンマーの学生たちにとって最初のタッチポイントとして日本があったら、その人のどこかに日本のことが残るから今後も何かしらの形で日本に関わってくれるのではないかなと思うのです。きっと日本人学生にとっても同じことが言えます。このような日本とミャンマーの交流の芽を創ることは、IDFCだからこその役目の1つなのかなと思っています。